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Tヨハネ 4章1〜6節     2014年11月2日

子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。(4)

 ある人々は肉は悪であり、霊は善であると考えていました。しかし、何でもかんでも霊であれば受け入れるとか、霊的=善と考えるのは危険なことです。霊を見分ける知恵を持つことはとても大切なことです。何が神から出たものであり、真理の霊かと言うと、真理と偽りを分ける鍵は、その霊が主イエスを告白し、また主イエスが肉体をもって来られたことを受け入れるかどうかということだ、とヨハネは言います。この時代、霊は善、肉は悪という二元論の中で、霊なる神が肉体を取られるわけがない、とか、人間主イエスに神が入り、十字架を前にそこから離れたのだという説を唱える人たちがいたのです。
 悪魔を軽く見るべきではありません。悪魔は私たちの弱さを知っていますし、非常に巧妙です。しかし悪魔に脅える必要はありません。悪魔よりも、この世のどんな力よりも強い方が私たちと共にいてくださるからです。

Tヨハネ 4章7〜12節     2014年11月3日

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。(10)

 主イエスを信じ、神から生まれた者は、互いに愛し合います。また互いに愛し合う中で、神を知るようになります。神を知るというのは単に、何か分厚い本を読んで机に向かって研究した結果分かってきたということではないのです。私たちが主イエスを、特にその十字架と復活を見るときに、そして、神の愛を受け入れ、与えられている救いを感謝していただくときに、神が分かってきます。また、信じる者たちが互いに愛し合う交わりに生きていくときに、神が分かってくるのです。
 神もまた、私たちに愛を示されるときに、単に言葉だけで示されたのではありません。神は具体的に、見える形で、そのひとり子を遣わしてうださいました。それはそのひとり子なる神が、私たちの罪を負って身代わりに死ぬためでした。私たちが神に背を向けて自分勝手に生きていたにもかかわらず、神はそんな私たちのために御子を遣わしてくださいました。ここに愛があるのです。

Tヨハネ 4章13〜21節     2014年11月4日

愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。(18)

 私たちは神の愛を知り、神を愛する者となりました。見えない神を愛するということは、目に見える兄弟姉妹を愛するということです。私たちのごく身近にいる必要を覚えている人々に具体的な助けの手を差し伸べることです。
 そして神に愛されていることを知っていたら、神を怖がる必要はありません。びくびくしながら生きていく必要もありません。私たちは失敗するかもしれません。恥をかくこともあるかもしれません。しかし、信じる者が裁かれないことを知っています。また人を恐れる必要もありません。もちろん、性格的に合わない人もいることでしょう。しかし、その人もまた、神によって造られ、神に愛され、あがなわれ、深い神の知恵とご計画の中で私のそばに置かれています。その人がイエスを主と告白するなら、その人の内に主がおられるのです。私たちは、その相手が好きになることはできなくても、その人のために祈ることはできるでしょう。そして、祈り始めるときに、私たちは恐れから解放されていきます。



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