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Tヨハネ 3章1〜12節 2014年10月31日 |
わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。(1)
9節にある「すべて神から生まれた者は罪を犯さない」「罪を犯すことができない」というのは「罪を犯し続けることはできない」ということです。主イエスを信じながら、ことさらに神の嫌われる罪の中に留まり続けることはあり得ない、ということです。誘惑に陥り、罪を犯すことがあっても、「もうお前は神に愛されていない」「愛される資格はない」「神の子ではない」と攻撃する悪魔の言葉を信じないでください。ただ、神を信じていたら、罪を犯し続けるのではなく、神の喜ばれる義を行うはずです。
私たちは、私たちが神の子と呼ばれるために、神が私たちに与えてくださった愛の大きさを知っています。神はその愛をもってそのひとり子イエスをこの世に送ってくださったからです。そしてこの主イエスはやがて再び来てくださいました。私たちは、私たちを愛してくださった主イエスにお会いするのです。いつも主にお会いするにふさわしい備えをさせていただきたいと思います。
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Tヨハネ 3章13〜24節 2014年11月1日 |
主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。(16)
主に愛され、神によって生まれたお互いは、互いに愛し合います。あわれみの心を閉じたり、愛すると言うけれど口先だけ・・・というのでは困ります。私たちは真実をもって愛し合うべきです。私たちは自分に与えられている恵み・賜物をお互いのために用います。
ヨハネはそれどころか「兄弟のためにいのちを捨てるべき」だと言います。これは単なる標語や努力目標・人生の指針ではありません。私たちは神の恵みによって、そのような者へと変えていただくのです。小さなことから始めていきましょう。愛には終わりはありませんし、制限もありません。
それは主が罪深い私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。本来、神に愛されるはずのない者、捨てられ、呪われて当然の者のために、主はいのちを捨ててくださいました。神の愛を知りたいですか。主イエスの十字架を見つめることです。
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