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ルカ 3章1〜14節 2019年4月15日 |
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。(8) ここにはバプテスマのヨハネが現れたことが書き記されています。ルカはここでも、ヨハネが活動を始めた年代を具体的に書き記すことによって、このことが確かに歴史の中に起こったことであることを強調しています。そしてまた、このバプテスマのヨハネの宣教活動はイザヤによって預言されていたことの成就でもありました。ザカリヤとエリサベツの子として奇跡的な神の御業の中で生まれたヨハネは自分に与えられた使命を自覚して行動を起こしたのです。
ヨハネは、人々に救い主の到来が近いことを告げ、救い主をお迎えするために準備をするようにと語ります。ヨハネが語った準備は、「悔い改め」でした。そして、悔い改めのしるしとして人々にバプテスマを授けました。「悔い改め」とは単に、自分が間違っていたことを認めてそれを告白するということではありません。自分の罪を認め、方向を変えて、新しい歩みを始めることです。ですからヨハネは、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言いました。そして、それはとても具体的なことでした。
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ルカ 3章15〜20節 2019年4月16日 |
わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。(16) ヨハネはまさに時の人でした。国中から噂を聞いて人々が集まってきました。ヨハネのもとに来る人たちの中には、もしかしたらこの人が救い主かもしれないという期待があったようです。けれどもヨハネははっきりとそのことを否定します。ヨハネは自分が何者であるかを知っていましたし、自分が何のために神から遣わされたのかも理解していました。あくまでも、ヨハネは救い主を紹介し、救い主を指し示すために来たのです。ですから彼はどんなに人々が彼のもとに集まり、彼のことを賞賛したとしても、得意げになることはありませんでした。それどころか、自分には「そのくつのひもを解く値うちもない」と言い切ったのでした。彼はどこまでも謙虚でした。
ヨハネは水で悔い改めのバプテスマを授けていました。しかし主イエスは火の働きをする聖霊によって、私たちを新しくしてくださるのです。
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ルカ 3章21〜22節 2019年4月17日 |
イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて・・・。 (21) バプテスマのヨハネの説教は決して耳障りのよいメッセージではなく、ある意味、とても厳しいメッセージでした。人々の罪を指摘し、悔い改めを迫り、新しい生活を始めることを求めるメッセージだったからです。けれども、ヨハネのところには大勢の人たちが集まって来て、自分の罪を悔い改めて、バプテスマを受けました。救い主が来られる時がすぐそこにまで近づいているという期待の中で、同時に、救い主をお迎えする準備ができていないことを人々は認めざるを得なかったのです。
主イエスは人々の列の中に加わって、バプテスマを受けられました。主イエスは罪のないお方でしたから悔い改めは必要なかったのですが、罪人のひとりのようになってくださったのです。
ルカは主イエスがバプテスマを受けて祈っておられたと記しています。そして主イエスが祈っておられたときに天が開けて、聖霊が下り、天からの声が聞こえてきたのです。今も、私たちが祈る時、神は天を開いてくださいます。
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ルカ 3章23〜38節 2019年4月18日 |
イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子・・・エノス、セツ、アダム、そして神にいたる。(23、38) 主イエスが宣教を始められたのは、三十歳の頃でした。それまでは大工の子として仕事をしながら、両親に仕え、弟妹たちを支えておられました。この主イエスが公に宣教活動をしておられた時期を「公生涯」と言い、約三年間だったと言われています。
ここでルカは主イエスの系図を記しています。マタイによる福音書はアブラハムから始めて主イエスまでの系図でしたが、ルカは主イエスからさかのぼるように系図を記し、最後は「アダム、そして神にいたる」と天地創造までさかのぼっています。マタイによる福音書はユダヤ人を主たる読み手として想定していますので、旧約聖書の引用が多く、またユダヤ人の先祖であるアブラハムから系図を始めているのですが、ルカは書き手も読み手も異邦人ですので、すべての人の救い主として来てくださった主イエスを描くためにも、天地創造までさかのぼっています。まさにすべての人の救いのために主イエスは来てくださったのです。
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