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ルカ 2章1〜7節 2019年4月10日 |
ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 (6〜7) ルカは主イエスの誕生が起こった時が、皇帝アウグストの人口調査の時であり、またシリアの総督がクレニオの時代だったと言います。このことは確かに歴史の中に起こった事だったのです。そしてこの時、世界を動かしていたのはローマ皇帝でした。そしてローマ皇帝が命じると全世界の人たちが動いたのです。そしてヨセフは身重の妻マリヤを連れて、彼の本籍地であったベツレヘムに向かいます。しかし、それはまさに神のご計画の通りでした。救い主はダビデの町ベツレヘムに生まれることになっていたからです。歴史を動かしていたのは皇帝ではなく、神でした。
ヨセフたちがベツレヘムについた時には、すでにベツレヘムの宿屋はいっぱいでした。「客間には彼らのいる余地がなかった」と聖書は言います。私たちの心には主イエスの住む余地があるでしょうか。主イエスを私たちの心の王座にお迎えするお互いでありたいと思います。
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ルカ 2章8〜14節 2019年4月11日 |
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。(10〜11) 主イエスがお生まれになった時、ベツレヘムの郊外で羊飼いたちが羊の群れの番をしていました。そしてその夜、天使が現れて羊飼いたちに、救い主の誕生を告げたのでした。救い主(メシヤ/キリスト)の誕生はすべてのイスラエル人が待ち望んでいたことでした。しかし、主イエスがお生まれになった時、その知らせを聞いたのはこの羊飼いたちだけでした。貧しく、また人々からは卑しいと見られていた羊飼いたちが、この大きな喜びの知らせを、自分たちの救い主の誕生として聞いたのです。
この救い主にはしるしがありました。それは布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされているということでした。それはとても奇妙で、不思議なしるしでした。しかし、飼い葉桶の中に寝ていなかったら、それは救い主ではなかったのです。主イエスは貧しく、汚れた飼い葉桶に来てくださいました。それは私たちの罪を負うために来てくださった救い主らしい場所でもありました。
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ルカ 2章15〜20節 2019年4月12日 |
人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。(18〜19) 御使いの喜びの知らせを聞いた羊飼いたちは、ベツレヘムに行って、救い主を捜します。しるしは布にくるまって飼い葉桶に寝かされている赤ちゃんということでした。羊飼いたちが飼い葉桶の赤ちゃんを捜しているということを聞いた人たちはとても不思議な感じがしたことでしょう。しかし、羊飼いたちの話を信じて、一緒に赤ちゃんを捜してくれた人はいませんでしたし、羊飼いたちの報告をもとに、主イエスを拝みに来た人もいませんでした。不思議に思って終わりだったのです。
そんな中、主イエスの母マリヤは、この羊飼いたちから聞いたことを全部心に留めて、思い巡らしていました。神から選ばれたマリヤのうちにあったよい性質をここにも見ることができます。彼女は神の言葉をしっかり聞いて、受けとめ、思い巡らすことができたのです。主は今も聖書の御言を通して私たちに語られます。心で聞いて、聞いた御言を何度も思うお互いでありたいと思います。
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ルカ 2章21〜40節 2019年4月13日 |
この幼な子は・・・多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために・・・定められています。そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです。(34〜35) 主イエスは八日目に割礼を受けられました。それは主イエスがユダヤ人として、ダビデの子孫に生まれたということでもありました。そして、生まれて三十日後に、主イエスは両親に抱かれて、エルサレムの神殿に入っていかれました。これは旧約聖書の時代から守られていた献児式のためでした。旧約聖書では最初に生まれた男の子は神のものとされていたからです。
そんな彼らにシメオンやアンナが近づいてきました。彼らは聖霊によって、主イエスが旧約聖書に約束された救い主であることを知らされ、その幼な子に会って、心から神を賛美しました。しかし、シメオンはこの幼な子を待ち受けている生涯が、決して人々がメシヤに期待しているものと同じではないことも知っていました。マリヤが主イエスの母として生きるということは胸を刺し貫かれるような悲しみ・痛みを伴うものでもありました。そしてこの幼な子の前に立つと、その人の真の姿があらわにされてしまうのです。
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ルカ 2章41〜52節 2019年4月14日 |
するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。(49) 主イエスの幼児期・少年期のことについては聖書はほとんど語っていません。今日、読んだ箇所には主イエスが十二歳の時、ユダヤ教の成人式(バル・ミツバ)のために両親と共に、ガリラヤからエルサレムに来た時のエピソードが書き記されています。主イエスは過越の祭の後も、ずっとエルサレムに残っておられました。主イエスを捜してエルサレムに戻って来たヨセフとマリヤに、主イエスは、自分は「自分の父の家」にいたのだとおっしゃいます。
主イエスは神のひとり子でしたが、人となって、しかも赤ちゃんになってこの世に来てくださいました。もちろん主イエスご自身も、自らが神の子であることを知っておられました。そして、地上において主イエスの両親として選ばれ、そのように生きていたマリヤとヨセフもそのことを知っていなければなりませんでした。ここでもこれらのことをみな心にとめたマリヤのことを思います。
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