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マルコ 15章1〜15節 2019年3月27日 |
しかし、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった。 (5) ユダヤ人議会はイエスさまを神への冒?罪で死刑に定めました。しかし、当時ユダヤはローマの支配下にありましたので、ユダヤ人たちが勝手に誰かを死刑にすることはできません。そこでユダヤ人たちは、今度は主イエスをローマの総督ピラトの下に連れて行きます。そして、主イエスが自分を「ユダヤ人の王」と呼んで、ローマ皇帝に反逆しているとして、反逆罪で死刑にすべきだと訴えたのです。罪状を差し替えてでも、彼らはどうしても主イエスを死刑にしたかったのです。当のピラトにさえも、宗教指導者たちがここまで主イエスを死刑にしたがるのが、ねたみのためであることは明白でした。「ねたみ」は本当に恐ろしいものです。群衆は宗教指導者たちに扇動されて、「十字架につけよ」と叫び続けます。
そのような中で、主イエスの沈黙は非常に目を引きます。主イエスはまさに「ほふり場にひかれていく小羊のように」自らを父なる神にゆだねておられました。そして、主イエスの代わりに赦されたバラバの姿はまさに、私たちの姿でもありました。
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マルコ 15章16〜32節 2019年3月28日 |
そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。(21) クレネというのは北アフリカにある地中海沿岸の町で、ちょうど、ギリシャの対岸にあたります。そのクレネ出身のシモンがここに登場します。このシモンがクレネから過越の祭のために来ていたのか、またはクレネ出身でこの当時、ユダヤ地方に住むようになっていたのか、詳細は不明です。ただ、彼がこの過越の祭のためにエルサレムに来ていたのはおそらく間違いないでしょう。彼はたまたま十字架を負って刑場に向かう囚人たちの行列に出会います。人だかりに気づいてなんだろうとのぞいたのかも知れません。しかし、彼はローマの兵隊によって無理やり引っ張り出されて、主イエスの十字架をゴルゴタの丘まで運ぶことになります。ある意味、とんだ災難です。むち打たれた主イエスの血がついた十字架を運んで、シモンは過越の祭への参加ができなくなってしまったことでしょう。それは「無理に」負わされた十字架でした。しかし、後に彼はクリスチャンになったと言われています。彼とその子たちの名前がここに書き残されているからです。
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マルコ 15章33〜41節 2019年3月29日 |
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(34) 主イエスが十字架の上で叫ばれたのは、詩篇二二篇の言葉でもありました。この詩篇二二篇の記者の叫びは大きな苦難の中にあったこの詩篇の作者が実際に経験した苦しみの描写だったと思います。しかし、この詩篇の作者ははからずも救い主の受難の時の苦しみを預言的に言い表したことにもなったのでした。二二篇の中には主イエスの十字架と重なる言葉がいくつも出て来ます。
父なる神との親しい交わりの中に生きておられた主イエスがここではまさに神に捨てられてくださいました。私たちも時に苦難の中にあって、神にも見捨てられたのではないかとつぶやくことがあるかもしれません。ただ実際には神は見捨てておられません。しかし、ここでは本当に主イエスは見捨てられてくださったのでした。罪のないお方が私たちの罪を負われたからです。私たちは罪の恐ろしさと共に、主イエスがどんなに大きな愛をもって私たちを愛し、またどんなに大きな犠牲を払ってくださったかを覚えたいと思います。
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マルコ 15章42〜47節 2019年3月30日 |
アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。(43) 主イエスは朝の九時頃十字架につけられ、午後三時過ぎには息を引き取られました。十字架につけられた罪人は数日にわたって苦しみながら死んでいくと言います。ただ、主イエスはすでに疲れ切っておられました。そして金曜日の日没と共に過越の祭の安息日が始まりますので、日没までにはどうしても遺体を収容する必要がありました。そのような時に、アリマタヤのヨセフが行動を起こします。彼は地位の高い議員であり、またお金持ちでした。しかし、議会の中にあって、ニコデモと共に主イエスを断罪することに反対していました。このヨセフが主イエスの遺体の引き取り方を願い出たのです
「大胆にも」と聖書は言います。そもそも主イエスは、表向きにはローマに対する反逆罪で十字架刑に処せられたのです。その主イエスを引き受けるのは、主イエスの仲間であることを公表することになります。それはまたユダヤ人たちに対しても自分の旗色を鮮明にすることになったことでしょう。彼はここで大きな決断をしたのです。
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