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マルコ 4章1〜20節     2019年2月3日

また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである。(20)

 主イエスは人々を教える時に、よくたとえ話を用いられました。主イエスが用いられたのはとても身近な題材でしたから、誰でも理解することができました。ただ同時に主イエスを受け入れ、信じる気持ちがない人には、全く理解できなかったのでした。
 ここで主イエスが語られたのはとても有名な四つの種のたとえ話です。正確に言うと、種が落ちた四つの土地の話と言えるでしょう。まかれているのは御言です。御言には命があり、豊かな実りをもたらすことができるものです。ただ問題はその命の御言をどのように聞き、受け止めるかということです。
 道ばた、石地、いばらの中、良い地という四つのパターンを主イエスは示されましたが、良い地になるように努力するというよりも、主に聞き、主に信頼しつつ、良い地としての整えをしていただきたいと思います。石を取り除くのも、いばらを整理するのも、みな農夫であられる主の御業なのです。

マルコ 4章21〜25節     2019年2月4日

ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。(21)

 あかりは燭台の上において、あたりを照らします。あかりはそのためにあります。だから、あかりをますの下や寝台の下に置くことはしません。燭台の上に置くのです。私たちもかつては闇でしたが、主イエスに照らされて光とされました。そして光となった私たちは、与えられた使命をはたして世を照らすのです。ところが私たちは往々にして、せっかく与えられた光を隠してしまいます。燭台の上に置くと、目立ちますし、いろいろなあらも見えてしまうかもしれません。しかし隠されていて明らかにならないものはありません。主はすべてを知っておられるのですから、見られて困るものも暗闇に隠すのではなく、主の光に照らしていただいて、きよめていただきましょう。
 ここで大事なのはどう聞くかということと共に何を聴くかということです。主の御言をしっかりと聞き、心に蓄えていきたいと思います。心に御言を蓄えていくとそれはさらに豊かに与えられていくでしょう。

マルコ 4章26〜34節     2019年2月5日

神の国・・・それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる。(30〜32)

 今日の聖書の箇所では神の国を種にたとえています。最初のたとえでは神の国は小さく始まるが、そこには命があるので、どのように成長していくか私たちには分からないが、夜昼、寝起きするような日々の中で、確実に成長し、実を結んでいくというのです。
 次のたとえはからし種を例にあげています。からし種は日本で言うと、ケシ粒ほどということになるでしょうか。ちょうどコスモスの種ほどの大きさです。それは小さな小さな種ですが、そこには命があり、どんどん大きくなって、どんな野菜よりも大きくなり、空の鳥が宿るほどの木になるのです。神の国、教会も小さく始まりますが、それは主の教会であり、そこに命があるゆえに、どんどん育って大きくなっていきます。私たちがどんなに小さくても意気消沈する必要はありません。大切なことはそれが本物であり、命があるかどうかということなのです。

マルコ 4章35〜41節     2019年2月6日

イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。(40)

 主イエスは夕方になった時に、弟子たちと一緒に「向こう岸に渡ろう」と対岸に向かわれます。おびただしい群衆から身を避けて静かな時を過ごそうとされたのかもしれません。主は御自分に集まってくる人たちがどれだけ多くでも拒むことはなさいませんでんしたが、同時に静かな場所に一人で退かれたり、弟子たちとだけ過ごす時間も大切になさいました。
 ところが湖の上で大きな突風が起こり、波が高くなって舟の中に水が満ちそうになります。しかし、主イエスは疲れて眠っておられました。弟子たちは非常に恐れて主イエスを起こします。主は起き上がって「静まれ、黙れ」と嵐を叱り、しずめてくださいました。湖はまた大なぎになりました。主は、弟子たちに、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」と言われます。主は私たちの恐れも理解してくださいます。しかし、同時に、信じるようにと励まし、私たちの心の嵐を静めてくださるのです。



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