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マルコ 13章1〜13節 2019年3月16日 |
そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。(11) エルサレムの神殿はヘロデ大王の時代から大規模な改築・改修が行われており、五十年近くの年月をかけながら、主イエスの時代にもなお完成していませんでした。神殿の城壁には非常に大きな石が使われており、また聖所自体もとても美しいものとして造られていました。弟子たちはその見事さに感動し、また主イエスにそのことを語ります。しかし、主はこの神殿は崩され破壊されてしまうと予告されたのでした。そして、主イエスが語られたようにこの場面から四十年後、紀元七十年にこの神殿はローマ軍によって徹底的に破壊されてしまったのです。
主イエスはエルサレムの陥落の時について、また世の終わりの時について語られます。様々な前兆がある中で、福音はすべての民に宣べ伝えられます。主イエスはそのために私たちを用いようとしておられます。語ることは神が教えてくださり、聖霊が私たちを通して語ってくださるのです。
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マルコ 13章14〜27節 2019年3月17日 |
そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。(26〜27) 紀元七十年のエルサレム陥落は非常に厳しいものであったと言います。しかし、世の終わりの時にはさらに激しい苦難が起こり、また多くの偽預言者や偽キリストが現れて、人々を惑わそうとします。私たちはしっかりと本物を見分けなければなりません。
多くの患難があります。しかし、悪の力がどんなに勝ち誇ったとしても、最終的な勝利は主によってもたらされます。主イエスは大いなる力と栄光をもって、雲に乗って、再び世に来られます。そして世界中から神に選ばれ、神を信じて歩んだ者たちを集めるのです。これが主イエス・キリストの「再臨」です。教会は主イエスの約束を信じて、今もその時を待っています。主イエスは一度、世の罪を負って死に、その贖いのわざを全うするために来てくださいました。けれども主はもう一度来てくださって、私たちの救いを完成し、世を裁かれます。歴史は主が定められた完成へと進んでいるのです。
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マルコ 13章28〜37節 2019年3月18日 |
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(31) 主イエスは必ず再臨されます。そのことは聖書の中で繰り返し語られていることであり、何の疑いもありません。それは決して秘密裏に、誰も気づかない間に起こっているということではなく、誰の目にも明らかなことです。ただそれがいつ起こるかは分からない、と主イエスはおっしゃいました。ですから主イエスの再臨の時期を特定するようになると信仰がズレてきます。
その時が分からないというのも、神の深い知恵から江出たことです。その時が分かると、私たちはその時が近づくまで怠惰に過ごすことになりかねないからです。大切なことは、気をつけて、いつ主が来られてもよいように目を覚まして準備しているということです。
この地上の、目に見えるものはみな過ぎ去っていきます。滅んでいきます。ただ変わらないのは主イエスのお言葉です。私たちは変わることのない主の御言、その約束にしっかり信頼して、与えられている歩みを一日一日誠実に歩んで生きたいと思います。
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