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ヨハネ 18章1〜11節 2019年11月18日 |
イエスは彼らに言われた、「わたしが、それである」。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた。イエスが彼らに「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた。(5〜6) 主イエスはエルサレムの東側にあるケデロンの谷を挟んで向こう側にあったゲッセマネの園という場所に来られました。そこは主イエスの祈りの場であり、また弟子たちと共に祈るために何度も訪れた場所でした。イスカリオテのユダは「その所をよく知っていた」のでした。しかし、彼はその場所を主イエスを裏切り、捕らえる場として選んだのでした。
主イエスが「だれを捜しているのか」と問われたとき、主イエスは「わたしが、それである」と答えられました。人々は「そこで、うしろに引き下がって倒れた」とあります。それは主イエスの迫力に圧倒されたと言うよりも、主イエスの答えに恐れを感じたということでもあったと言われます。「わたしが、それだ」という言葉は、旧約聖書で、神がしばしばご自身をあらわされるときに使われた表現だったからです。主イエスは自ら進み出て捕らえられます。主イエスはこのようにして御言を成就していかれたのです。
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ヨハネ 18章12〜27節 2019年11月19日 |
ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。(27) 主イエスは捕らえられた後、その当時の宗教的な責任者であった大祭司カヤパのしゅうとアンナスのところに連れていかれます。主イエスは弟子たちやその教えについて尋ねられます。もし、宗教家たちが、純粋に主イエスの教えを知りたいと思っていたら、このような手荒なことはすべきではなかったでしょう。主イエスは毎日宮で教えておられましたし、必要であれば、主イエスはまた丁寧に教えられたはずです。しかし、宗教指導者たちは、主イエスを死刑にする口実を得たかっただけです。開かれた心、信仰のないところでは主イエスは多くを語ることをなさいませんでした。人々は神から遣わされた神の子である主イエスを平手で打ち、罵倒しました。
その頃、大祭司の庭に潜り込んだペテロは、自分が主イエスの弟子だいうことを隠すために、三度主イエスを知らないと言って、主イエスを否定しました。主イエスが語られた通りになりました。ペテロは自分の罪深さ、ふがいなさ、弱さをいやというほど知らされたことでしょう。
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ヨハネ 18章28〜40節 2019年11月20日 |
「真理とは何か」。(38) 主イエスはユダヤ人の宗教会議における裁判の後、ローマによって立てられて、ユダヤを納めていた総督ピラトのもとに主イエスを連れて行かれます。ユダヤ人たちは強引な裁判によって、主イエスを死罪と決めていましたけれど、ローマの支配下にあったユダヤでは、ユダヤ人たちが犯罪者をローマの許可なく死刑にすることは許されていなかったからです。
ユダヤ人たちは異邦人であるピラトの官邸には入ることをせず、ピラトを外に呼び出します。そして重い罪状を訴えて、主イエスを死刑にするように求めたのでした。イエスに対する罪状は、自分を王として、ローマ皇帝に反逆したという反逆罪でした。けれども、ピラトは、ユダヤ人たちの言い分が言いがかりに過ぎないことも知っていました。ピラトは主イエスに、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」と尋ねます。確かに主イエスは王でした。しかし、主イエスの国はこの世の国ではありませんでした。主イエスは真理について証しをするためにこの世に来られました。ピラトは「真理とは何か」と問います。ピラトの求道心が顔をのぞかせた場面ですが、結局、ピラトは真理である主イエスを求めることはなかったのでした。
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