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使徒行伝 15章1〜5節 2020年2月8日 |
ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。エルサレムに着くと、・・・神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。(3〜4) この使徒行伝十五章は教会の歴史の中でもとても重要な箇所です。ここには「エルサレム会議」と言われる最初の教会会議のことについて記されています。時は紀元50年、教会がその歩みを始めてから20年がたっていました。そしてまた、それはパウロがその第1回伝道旅行を終えてほどない頃でした。パウロやバルナバの異邦人伝道に伴って顕在化してきた問題が提起されたのです。それは人は、主イエスを信じるだけで救われるのか、という問題でした。それに疑問を投げかける人たちは、主イエスを信じるだけでなく、割礼を受け、律法を守るべきだ、と主張したのです。それは、異邦人が主イエスを信じて救われるという時に、ユダヤ教への改宗を必要とするかという問いであり、ユダヤ教とキリスト教の関係を明確にしていく問いでもあったのです。
パウロやバルナバたちがエルサレムに上り、使徒たち、長老たちと大切な会議をしました。教会はひとつになってこの問いに向き合おうとしていました。
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使徒行伝 15章6〜11節 2020年2月9日 |
また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。(9) エルサレム会議では激しい討論がなされました。そして、その議論が行き詰まり、一段落した時、ペテロが立ち上がって言いました。ユダヤ教に改宗していない(割礼を受けていない)人の信仰による救いの出来事は、そもそもペテロがカイザリヤに下って、コルネリオを信仰に導いたことが契機になっていました。コルネリオたちがペテロの話を聞いていたとき、彼らの上に聖霊が下られたのをペテロは見て、そして、神が確かに異邦人の彼らをきよめ、救ってくださったことを知ったのです。その時、コルネリオたちがしたのは、割礼を受けたということではなく、主イエスのことを聞いて信じたということでした。あのペンテコステの日に起こったことが確かにその日にそこでも起こったのです。
ペテロは、律法を行うということが自分たちの先祖にとっても、自分たちにとっても、負いきれないくびきであると語ります。私たちは確かに主イエスのめぐみによって救われるのです。
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使徒行伝 15章12〜21節 2020年2月10日 |
神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。預言者たちの言葉も、それと一致している。すなわち、こう書いてある・・・(14〜15) ペテロが話すのを聞いたとき、人々はもうそれ以上、何も言う必要がないことを知ったのでしょう。黙ってしまいます。そしてバルナバとパウロとが、神が彼らを通して異邦人の間でしてくださっていることを証ししたのでした。
最後にヤコブが立ち上がります。このヤコブは主イエスの弟のヤコブです。ヤコブは、この時にはエルサレム教会のリーダーになっていました。ヤコブは、シメオン(ペテロ)が語った「異邦人の救い」ということはすでに預言者たちによって預言されていたことであったと、聖書をひもといて語ります。
その上で、ヤコブはその会議にひとつの結論を出します。それは異邦人キリスト者には割礼や律法の遵守を要求しないということでした。ただ彼らの信仰の歩みのため、また彼らの信仰のあり方がユダヤ人キリスト者につまづきを与えないために、不品行や、血を飲むことや、偶像に献げられたものを避けるようにということだけが告げられたのでした。
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使徒行伝 15章22〜35節 2020年2月11日 |
人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。(31〜32) エルサレム教会はその会議で決まったことを書面にして伝えると共に、バルナバとパウロと一緒に、エルサレム教会で重んじられているユダとシラスを、異邦人教会の拠点であったシリヤのアンテオケに派遣することを決めました。その手紙の中では、バルナバとパウロが、エルサレム教会でも認められ、愛されている教師であることを認め、今回の会議の結論を伝えたのでした。心配して祈りつつ会議の結論を待っていたアンテオケの人々は、その決定を聞いて心から喜びました。ユダヤ教の一派と思われていたキリスト教が、明らかに違うものとして歩み出していくための大きな一歩が踏み出されました。
ユダとシラスも、単に会議の結論を知らせるというだけでなく、アンテオケのキリスト者たちを励まし、力づける、とても尊い働きをしました。アンテオケ教会は、ますます力強い歩みをしていこうとしていました。
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