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使徒行伝 4章1〜12節 2019年12月21日 |
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。(3) 弟子たちに対して最初の迫害を加えたのは、サドカイ人たちでした。サドカイ人はその当時のレビ人や祭司たちを中心にしたグループで、当時の神殿の管理や神殿礼拝の秩序を守る仕事をしていました。彼らは、ローマの支配下にあっても特権を認められ、現状に満足していました。ですからサドカイ人たちは霊だとか天使だとか死後の世界だとか復活だとかには興味がなく、信じていませんでした。あくまでも現世的で、この世的な人たちです。
彼らは主イエスの弟子たちが神殿で集まりを持ち、ローマの法律で反逆罪として十字架刑になった主イエスがメシヤだと主張するのにいただちを感じました。弟子たちは彼らにとって非常に危険な存在でした。また弟子たちが、主イエスの死の責任を自分たちに負わせようとしていると反発していました。
弟子たちを糾弾し、黙らせようとする大祭司たちの前で、ペテロたちは「この方による以外に救いはない」と宣言します。この方にこそ救いがあるのです。
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使徒行伝 4章13〜22節 2019年12月22日 |
神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない。(19〜20) ペテロたちがイエスさまと一緒にいた者たちであることは人々も認識していました。人々はペテロたちが非常に雄弁に語るのを聞いて非常に驚きました。ペテロたちは特別に議論や神学の専門教育を受けたということではなかったからです。加えて、その足の不自由な人が歩き回り、神さまをたたえるのを聞くときに、そこで何かが起こったことを否定することはできませんでした。彼が生まれつき歩けなかったことは、自分たちも知っていましたし、神殿に礼拝に来ている人たちの間でも周知のことだったからです。
宗教議会の人たちは、弟子たちに、「主イエスの名で語ってはならない」と厳しく語り、脅しました。しかし、ペテロとヨハネは、自分たちはあなたがたに従うより、神に従う、と断言したのでした。彼らは自分の見たこと・聞いたことを語らないわけにはいかなかったのです。私たちも語らないわけにはいかないのではないでしょうか。
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使徒行伝 4章23〜31節 2019年12月23日 |
主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。(29) ペテロとヨハネは、釈放されてから、弟子たちや教会の人たちのところに戻って、自分たちの身に起こったこと、自分たちが祭司長・長老たちから受けた脅しについて報告しました。これはすでにペテロとヨハネだけの問題ではなく、教会全体の問題でもありました。生まれたばかりの教会は早くも大きな危機に置かれていました。教会でペテロたちの話を聞いた一同は、神様の前に近づいて助けを求めました。確かにキリストが苦しみを受け、多くの反対を受けることは、旧約聖書の中でもすでに予告されていたことです。それ自体を驚く必要は全くありません。ただ同時に生まれたばかりの教会は、そのような脅迫の中にあっても、自分たちが思いきって大胆に御言葉を語ることができるようにと祈り求めたのです。
彼らが祈り終えた時に、神は彼らにもう一度聖霊の満たしを与えて、彼らに大胆に御言葉を語らせてくださいました。私たちもまた聖霊に満たされて神の言を大胆に語る者たちでありたいと思います。
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使徒行伝 4章32〜37節 2019年12月24日 |
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。(32) 信じた者たちの群れは、心を一つにし思いを一つにして歩んでいました。彼らはいっさいのものを共有にし、誰も持ち物を自分のものだと主張する人はいませんでした。私たちには、何でも自分のものにしたいという欲があります。自分のものは誰にも渡したくないし、人のものであってもできるだけ多く自分のものにしたいものです。しかし、聖霊に満たされ、愛の交わりの中に生かされていた教会の中には、一致があり、また言葉だけではなく生活の中で具体化された愛があったのです。ですから教会の中には乏しい者は一人もいませんでした。神さまに多くを与えられている人は喜んでそれを人に与え、他者を生かすために用いました。
クプロ生まれのバルナバも自分の地所を売って、教会の必要のためにささげました。バルナバはいわばニックネームです。彼はまさに多くの人に慰めを与え、多くの人を生かす働きをしたのです。
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