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使徒行伝 5章1〜11節 2019年12月25日 |
ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか・・・」。(9) 聖霊が注がれて教会はスタートしました。そして多くの人々が主イエスを信じ、バプテスマを受け、心を一つにして、主を礼拝していました。しかし、教会に何の戦いも問題もなかったわけではありません。権力者たちは弟子たちを脅し、黙らせようとしました。また教会の中にもいろいろな問題が起こってきました。
この五章で取り上げられているのは教会の中の罪の問題でした。アナニヤとサッピラは、バルナバと同じように自分の資産を売って教会に献金を持ってきました。大きな額の献金だったと思います。しかし、そこに嘘がありました。彼らにとっては小さな嘘・ごまかしだったのかもしれません。彼らは地所を売って、一部を自分のもとに残しておきながら、全部だと言って献金をしたのでした。「全部ではありませんがこれだけを献げます」と正直に言えば何も問題はなかったのです。しかし彼らは心を合わせて嘘をつきました。神を欺き、主の御霊を試みた彼らは同じ日に、裁かれて死んでしまったのでした。
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使徒行伝 5章12〜16節 2019年12月26日 |
そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。・・・主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。(12〜14) 使徒たちを通して多くの奇跡が行われました。多くの病人たちが癒され、また汚れた霊にとりつかれていた人たちが解放されました。エルサレムだけでなく、周辺の町々村々からも、病気に悩む人たちが連れてこられました。そして全部の者たちが、一人残らず癒されたのでした。主を信じる者たちがますます増えていきました。そして心を一つにして集まり、主を礼拝していました。
ただ同時に、その交わりに入ろうとしない者たちも大勢いました。彼らは弟子たちが力ある業を行っていることを見聞きし、神さまが彼らを特別に祝福しておられることを認めざるを得なかったでしょうし、また使徒たちやそこに集まっている人たちを見て、尊敬もしていました。しかし、彼らはそれだけのことを知っていながら、認めながら、信じないという決断をし、弟子たちの交わりに加わることをしませんでした。主イエスの福音はいつでも人々を二分していくのです。
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使徒行伝 5章17〜20節 2019年12月27日 |
ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。(19〜21) 神殿の管理をまかされ、そこに自分たちの権力を振るっていたサドカイ人たちは、人々が使徒たちのもとに集まり、またそこに神の御業があらわされ、人々が主をあがめ、弟子たちの語る主イエスを信じていくのを見、またそこに集まる人たちの数がどんどん増えていくのを見ながら、我慢ができなくなります。そこには使徒たちに対する嫉妬もあったでしょうし、主イエスを信じる者たちの数が増えていって、ローマの軍隊の介入を引き起こすことになったら自分たちの握っている権力・特権を皆失うことになってしまいます。指導者たちは使徒たちを捕らえて、留置所に入れます。
しかし、夜に主の使いが獄の戸を開き、彼らを外に出して、「命の言葉を人々に語りなさい」と告げました。そして弟子たちは前日に捕らえられ、せっかく自由の身になったのに、また人々の前に出て、大胆に主の言葉を語り伝えたのでした。
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使徒行伝 5章21〜32節 2019年12月28日 |
ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである・・・」。(29) 使徒たちを引き出して議会で糾弾し、断罪しようとしていた人たちは、獄の鍵がしっかりとかかかっており、番人も見張っていたのに、獄の中が空っぽになっているという報告を聞いて非常に驚きます。しかし、使徒たちがどこにいるかはすぐに明らかになりました。使徒たちは恐れて隠れて静かに身を潜めていたのではなく、また宮の庭に立って、主イエスのことを語っていたからです。
使徒たちは議会に連れてこられ、「あの名によって語ってはならないと言ったではないか」と問いただされます。確かに美しの門の奇跡の後に、ペテロとヨハネが捕らえられて、議会でそのように警告されていました。しかし、ペテロや他の使徒たちは、自分たちは神に従っているのだ、と断言しました。そして、十字架につけられて死んだ主イエスはよみがえって、罪のゆるしを与える救い主として立てられていると、福音の根幹の部分を大胆に語ったのでした。私たちは、脅されてもいないのに、自主的に(?)口を閉ざしてしまうということはないでしょうか。
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使徒行伝 5章33〜42節 2019年12月29日 |
「・・・あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい・・・」。(38〜39) 議会で使徒たちを尋問していた人々は弟子たちの話を聞いて激しく怒り、使徒たちを殺そうとします。しかし、そこでパリサイ派の指導者の一人だったガマリエルが立ち上がって、弟子たちを退席させ、発言を始めます。ガマリエルは国民全体に尊敬されていた良識人でした。パウロもこのガマリエル門下のパリサイ人です。パリサイ派の人々はサドカイ人たちよりも、純粋であり、霊だとか天使だとか復活だとかも信じていました。またこの地上の権力やお金などには基本的にあまり執着しない人たちでした。彼らは真面目で、律法を守ることにおいてとても真剣でしたが、とかく自分の正しさや純粋さを誇り、そうでない人たちを見下げる傾向がありました。
ガマリエルは使徒たちを放っておくようにと勧めます。これが神から出たもの出なかったら、長続きはしないからというのです。そしてこの弟子たちが伝えていた福音は今日まで生き生きと語られ続けているのです。
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