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使徒行伝 2章1〜4節     2019年12月12日

すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(4)

 約束の聖霊を受けるまではエルサレムにとどまって祈っているようにと言われていた弟子たちでしたが、ここでは何日祈ったら聖霊が与えられるか分からない中で祈っています。私たちも主の御前にとどまって、主が答えてくださるまで祈り続けることが大切です。
 祈り始めて10日。その日は五旬節(ペンテコステ)の日でした。それは過越の祭の直後にある初穂の祭から五十日目の祭であり、旧約聖書では七週の祭とされています。新約聖書ではイースターの日曜日から七週間後の日曜日です。その日は、小麦の収穫の初めの時期になり、その年の最初の収穫を主に献げました。この七週の祭は旧約聖書の三つの大切な祭(過越の祭、七週の祭、仮庵の祭)の一つで、世界中から巡礼者たちがエルサレムに集まってきていました。
 その日、聖霊は、一同の上に、そして一人一人に注がれたのでした。まさに教会はこの日にスタートしたのです。 

使徒行伝 2章5〜13節     2019年12月13日

あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか。(11)

 このペンテコステの日に聖霊が注がれて、一同が聖霊に満たされた時に起こったのは、聖霊に満たされた人たちが神様のことを語り出したということでした。彼らは、自分から語るのではなく御霊が語らせるままに、神の大きな働きを語っていました。しかも彼らは、今まで語ったことがないいろいろな他国の言葉で神の御業を語っていました。祭のために世界中から集まっていた巡礼者たちは、使徒たちが自分たちの生まれ故郷の言葉で話しているのを聞きました。やはり説教だとか祈りの言葉は自分の母国語を用いるのが一番わかりやすいのだと思います。
 創世記十一章で、神はそれまで一つだった言葉を乱されました。言葉が通じなくなって人々は世界中に散っていきました。しかし、このペンテコステの日にはそこに集まっていた人たちが自分の分かる言葉で神の言葉を聞いたのでした。バベルの塔の時の混乱が聖霊によって乗り越えられ、一致が回復されたとも言えます。

使徒行伝 2章14〜21節     2019年12月14日

神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。(3)

 聖霊に満たされて神の御業を語っている弟子たちを見た時に、人々は驚き怪しみました。そして、ある人たちは神の言葉に打たれていたことでしょう。しかし同時にある人たちは語られている言葉に耳を傾けることなく、弟子たちのことをあざけり、「彼らは新しい酒で酔っている」と言ったのでした。
 しかしペテロは他の11人の使徒たちと共に立ち上がって話を始めます。そして今そこで起こっていることをヨエル書二章から説き明かしたのでした。聖霊に満たされた時に、聖書の言葉が意味していることが分かるようになったのです。
 この聖霊降臨は、終わりの時が始まっていることのしるしでした。聖霊が注がれるときに、若者たちも老人たちも夢を見るようになります。神に幻を見せられた主のために生きるようになります。そして多くの人たちが主の御名を呼んで救われていくのです。

使徒行伝 2章22〜36節     2019年12月15日

このイエスが渡されたのは神の定めた計画と予知とによるのであるが、あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。(23〜24)

 今起こっていることがヨエル書の預言の成就だと語った上で、ペテロはイエスさまのことについて語り出します。主イエスは神のご計画の中で御言の通りに来られ、御言の通りに生きられました。主イエスが神から遣わされた方であることは、正直に冷静にその語っておられることを聞き、そのなさっていることを見れば明らかでした。しかし、イスラエルの民はその主イエスを受け入れるのではなく十字架につけて殺してしまったのでした。ただ実はそのことも神の計画の中にあったことでした。
 そして神はそのご計画の通りに主イエスを死からよみがえらせ、神の右に上げられました。
 この日に起こった聖霊降臨の出来事は、まさに主イエスが神の右に上げられたしるしでもありました。このように、ペテロは十字架・復活の主イエスが主であり、救い主、キリストなのだということを人々に対して非常に力強く語ったのでした。

使徒行伝 2章37〜42節     2019年12月16日

悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。(38)

 人々はペテロの話を聞いて強く心を刺されました。神から遣わされた主、またキリストである方を自分たちは十字架につけてしまったのです。自分たちのために来てくださった救い主を自分たちはさんざん馬鹿にしたのです。人々は弟子たちに叫ぶように言います。「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょう」。ペテロは人々に、悔い改めること、自分の罪を認めて、主イエスを受け入れ、その名によってバプテスマを受けることを強く勧めます。それがその人に罪のゆるしをもたらすからです。聖霊に満たされて、弟子たちは主イエスの十字架と復活の意味を理解し、その救いがどのようなものであるかをその力強く語る者とされたのです。
 その日、多くの人たちが弟子たちの勧めを受け入れて、主イエスを信じ、主イエスの名によるバプテスマを受けました。その数、三千人。このようにしてエルサレムに教会が生まれたのです。

使徒行伝 2章43〜47節     2019年12月17日

そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。(46〜47)

 最初の教会の様子が生き生きと記されています。使徒たちの手によって多くのしるしと奇跡とが行われました。主イエスを信じた人たちは心を一つにして共に歩んでいました。彼らは共に、神殿で神を礼拝し、共に集まってパンをさきました。この「パンさき」は聖餐式のこととされています。その聖餐を通して、集まった人々は主がそこにいてくださること、自分たちが一つであることを実感したのです。彼らは食事を共にし、共に喜び、共に賛美していました。また仲間の中に貧しい人、生活に困っている人がいると、資産や持ち物を持っている人がそれを処分して、必要に応じて分け合いました。彼らはいろいろな形で助け合って生きていました。
 彼らが主イエスを信じ、愛と喜びの中に生きているのを見て、すべての人が彼らに対して好意を持ち、また自分も主イエスを信じて、仲間に加わろうとしました。そのようにして最初の教会は生き生きと成長していったのです。



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