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使徒行伝 11章1〜18節 2020年1月24日 |
人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。(18) 異邦人の救いということは確かに預言者たちによっても語られていた神の約束でした。しかし、ペテロもその日に起こったことを予測することはできなかったことでしょう。ペテロ以外の、またそこにいなかった人たちにとってはなおさらだっただろうと思います。
ペテロがエルサレムに戻って来た時、主イエスを信じる人たちの中でも特に律法を重んじる人たちはそのことを問題にしました。ペテロが異邦人の家に入って、そこで一緒に食事をしたということは律法に背く重大な違反行為だと、ペテロを非難したのでした。確かにペテロももともとそのように考えていたのです。ペテロはそこで、なぜ自分がカイザリヤに下って、異邦人コルネリオの家に行ったのか、またそこで何が起こったのかを丁寧に説明しました。使徒行伝の著者がこの時のペテロの体験について繰り返し取り上げているのは、この出来事が、教会の宣教の歴史において非常に大きな転機だったからです。異邦人に救いがもたらされていったのです。
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使徒行伝 11章19〜26節 2020年1月25日 |
このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。(26) ステパノの殉教を契機にして起こったキリスト教に対する大迫害によって、多くの主を信じる人たちがエルサレムを離れざるをえませんでした。特に「離散のユダヤ人」と呼ばれた外国生まれでギリシャ語を話すユダヤ人たちに対する迫害は厳しかったようです。
彼らは散らされながら、ユダヤ人たちに主イエスのことを語っていきました。「ユダヤ人」とは割礼を受けて、聖書の神に属するものとなっている人たちのことです。しかしある人たちがシリヤのアンテオケに来た時、ギリシャ人たちに主イエスのことを語り、聞いた人たちがイエスさまを信じるようになりました。このようにしてアンテオケの教会が生まれました。バルナバはエルサレムから遣わされて、生まれたばかりの教会を励ました。バルナバはまたサウロを教師としてアンテオケに招きます。このアンテオケで、主イエスを信じる者たちは「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。これはいわばニックネームです。キリストのことばかり語っているのを見て、人々は彼らを「キリストさん」と言ったのです。
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使徒行伝 11章27〜30節 2020年1月26日 |
そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。(29) 教会はエルサレムでスタートしましたが、アンテオケに教会が生まれ、その教会が育っていくにつれて、アンテオケ教会が教会史の中でより重要な役割を果たすようになっていきます。多くの霊的な指導者たちがアンテオケに集まって来ました。
そんな頃、大ききんが世界中に起こります。ききんは特にユダヤにおいても激しかったようです。弟子たちはそのような中で、ユダヤにいる兄弟姉妹たちのために援助を送ることに決めました。特にエルサレムの、主を信じる人たちの中には貧しい人たちも多かったのでしょう。持っている者には責任もあります。主から与えられ、主によってゆだねられているものをどのように用いるかを問われているのです。
アンテオケ教会を中心とするいわば「海外教会」では集まった献金をバルナバとサウロにゆだねて、エルサレムに行かせたのでした。ユダヤの教会も、異邦の地にある教会も共に主にあって一つだったのです。
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