金銭や物品を預けたり、家畜の番を頼まれるということは、お互いの信頼に基づいてよく行われることだと思います。ただ、誰かの持ち物を預かるということは責任を伴うことです。もちろん、誰かが盗んだということが明らかになった時には、盗んだ人がそれを賠償しなければなりませんでした。盗み取ったものをそのまま返せばよいということではなく、二倍にしなければなりませんでした。そのように重い賠償を課すことによって、盗むことのないようにさせようとされたのでしょう。
私たちがもし、神に二倍の賠償を求められたら、とても返しきれません。しかし、主は私たちの負債を赦してくださいました。ただ聖書は単に、そのことがばれたら賠償が重いから人のものを奪うのは全く採算に合わないから止めなさいということでとどまらず、豊かに与える人になるようにと勧めます。主ご自身がまず、私たちに、とてつもなく大きな恵みの富を与えてくださったからです。