2025年03月21日 |
イスラエルの中でも貧しくなって、誰かの僕、奴隷とならなければ生きていけない人がいました。しかし、同胞のイスラエル人を奴隷とする場合、六年間仕えさせても七年目には自由の身としなければなりませんでした。
ただ、奴隷の中には、その主人をとても愛し、主人に仕えることを喜びとしていたり、また主人が自分に与えてくれた妻や生まれた子どもたちを置いて去ることは望まない、という場合がありました。
そのような場合には、自分は一生この主人に仕えますと宣言して、門の扉か柱のところに連れて行かれ、耳に穴を開けられるということがありました。そのようにして、一生涯、主人であるあなたの声を聞き、仕えますと告白したのです。このことを「耳を開く」と言います。イザヤ書五十章5節の「主なる神は私の耳を開かれた」という言葉は主イエスがどこまでも父なる神に従われることの預言でもあります。私たちも主の僕として耳の開かれた者でありたいと思います。