出エジプト記11章1~10節

主はエジプト人が民に好意を持つようにした。モーセその人もまた、エジプトの地でファラオの家臣や民から厚い尊敬を受けた。(3)

 多くの不思議が行われましたが、それでもファラオはイスラエルの民を去らせようとはしませんでした。すでに九つの災いがエジプトを襲っていました。ファラオにとっても何度も悔い改めて、イスラエルを去らせることを決断するチャンスはあったと思います。けれどもファラオは悔い改めるチャンスを自ら潰してきましたし、また災いが過ぎ去ってしまうと、悔い改めを撤回し、次の災いを呼び込んでしまっていたことでした。
 モーセとアロンはいわばエジプトに災いをもたらす存在でもあったわけですが、同時に、モーセは、ファラオの家臣や民からも、厚い尊敬を受けていましたし、またイスラエルの民も、エジプト人たちから好意を得ていました。モーセが単に個人として行動しているのではなく、神が語られ、神に託された言葉を自分たちに伝えているのだということを、人々はファラオ以上によく理解していたのでしょう。