第八の災いはばったの大群でした。ここまでもいろいろな災いがエジプトを襲っていましたが、主はある意味、全くエジプトの民とファラオとを滅ぼし尽くすことはせず、憐れみをもって向き合っておられたことを思います。雹で亜麻や大麦は打たれて収穫ができなくなってしまいましたが、まだ小麦は無事でした。そこで悔い改めてイスラエルの民を去らせていたら、小麦の収穫を得ることはできたはずです。実際、ファラオの家臣たちは、このままではエジプトは滅びてしまうという危機感を持ち、悲鳴を上げています。
しかし、ファラオは心をかたくなにし、ばったの災いを呼び込んでしまいました。たまらずにファラオはモーセたちを呼び、「もう一度だけ私の罪を赦してほしい」と懇願します。モーセにも、災いが去ってしまったらファラオはきっとイスラエルを去らせないと言うだろうという確信があったことでしょう。しかし、憐れみに満ちた主は、それでもばったを去らせてくださったのでした。