この手紙の最後のところで、ヤコブは富の誘惑について語ります。確かに富は主が私たちにそれを正しく管理して生きるようにと私たちに託してくださっているものです。ですからその委ねられている富を用いて、私たちは神の愛を表し、人々に愛を示すことができます。富はまさに神から私たちへの愛と祝福の具体的な現れでもあります。ただ応応にして富は私たちを神にすがって生きることから引き離し、貪欲にするのです。
この手紙の最後のところで、ヤコブは苦しんでいる人は祈りなさい、喜んでいる人は賛美しなさい、と言いました。私たちの歩みには苦しみの時もあれば喜びの日もあります。ここで言われているのは、苦しみの日も喜びの日も、主に目を向け、主と向き合って生きるということです。どんな中にあっても祈りと賛美の内に主を見上げながら歩んでいくのです。信仰をもって祈りをもって生きる者には力があります。主はそのような歩みの中に私たちを招いていてくださるのです。