ヘブライ5章

キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを通して従順を学ばれました。そして、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人々にとって、永遠の救いの源となり、神によって、メルキゼデクに連なる大祭司と呼ばれたのです。(8~10)

 モーセの時代の大祭司は自分自身も罪を持っていましたので、神に近づくためには、まず、自分自身のためにあがないをしなければなりませんでした。しかし私たちの救い主、御子イエスは、多くの苦しみを通りながら、イスラエルの民が不従順のゆえに罪を犯したところを、従順に歩み通されました。そして、私たちのために永遠の救いの源となってくださいました。私たちが信じ、従う時に、私たちのわざによってではなく、そのすばらしい救いの御業のゆえに、救いを与えてくださったのです。
 主イエスはアロンのような大祭司ではありません。このところでヘブライ人への手紙の著者はアロンとは違う、もう一つの大祭司の流れがあったことを指し示します。それはサレムの王であり、大祭司であり、アブラハムのために祈り、アブラハムが感謝してささげものをささげたメルキゼデクの流れです。主イエスはメルキゼデクに連なる大祭司として私たちのためにとりなし、救いの道を開いてくださったのです。