前の章に引き続いて、「健全な教え」(1節)、「健全な言葉」(8節)が取り上げられます。パウロはテトスに対してとても実際的な牧会的アドバイスを与えています。年輩の男性や女性に対してどのように向き合ったらよいか、若い女性や男性に対してはどうか、奴隷の中から信仰を持った人たちに対してはどのように向き合うかということです。
私たちが罪の中から救われたのは、私たちが不敬虔やこの世の欲を捨てて、この時代の中にあって、慎み深く敬虔に生きるためです。主イエスが私たちのためにご自身をささげて死んでくださったのは、私たちが裁かれることなく、天の御国に入ることができるためというだけでなく、キリストの再臨を待ち望みつつ、今、この世にあっても、神の民として、良い行いに熱心な、主の民として生きるためです。私たちは自分の行いによって救われるのではなく、神の恵みによって救われます。けれども救われたお互いは神の民にふさわしい生き方を生きるようにと招かれているのです。