パウロはテモテのことを「私の子」と呼び、キリスト・イエスの恵みによって強くなるようにと励まします。私たちは「キリスト・イエスの良い兵士」「栄冠を目指して競技をする者」「収穫を期待する農夫」にたとえられます。そのような中で様々な労苦があっても、イエス・キリストを思い起こしながら、神の御言葉に信頼して忠実な歩みをしていくのです。
神は私たちをご自身の目的のために創造し、用いてくださいます。極端な言い方をすれば、私たちがたとい神に背いていたとしても、神は私たちをご自身のご目的のために用いることができるでしょう。しかし、私たちは「主人に役立つもの」、ここで使いたいというときに間に合い、「貴いことに用いられる器」となって主に用いられたいと思います。そのためにも卑しいことから離れて自分を清める、神のものにふさわしい歩みをしていくことが求められているのです。