テモテ一4章

敬虔のために自分を鍛えなさい。体の鍛錬も多少は役に立ちますが、敬虔は、今と来るべき時の命を約束するので、すべてに有益だからです。(7~8)

 テモテの時代にも生まれたばかりの教会を惑わす様々な間違った教えが入り込もうとしていました。こうすべきだとか、こうすべきではないというような律法主義的な教えでキリスト者をがんじがらめにし、信仰と恵みによる救いから引き離そうとする教えです。
 ただ同時に、恵みによって救われるのだから何をしてもよいのだという逆の極端もありました。ですからここで、パウロはテモテに「敬虔のために自分を鍛錬しなさい」と語ります。信仰の歩みのために必要な「鍛錬」があるというのです。アスリートが自分を鍛えて競技に臨むように、来るべき命に生きる者にも必要な鍛錬があります。自分を鍛えることによって救われるということではありません。しかし、救われたお互いには主の恵みに生きる者としてふさわしい生き方があります。
 そして、パウロは若いテモテにも、キリスト者たちとして人々のよい模範となるようにと励ますのでした。