パウロは手紙の後半で、神に喜ばれる生き方について語ります。それはまさに日々の積み重ねであり、歩みです。そして、ここでパウロは「神の御心は、あなたがたが聖なる者となること」と語ります。私たちは主イエスの尊いあがないによって買い戻され、神のものとされました。その意味で、私たちは神のものとされた特別な民なのです。「聖なる者」とはまさに神のものとしてとりわけられているということです。しかし同時に、「聖なる者」とは、サタンの支配の下にある者とは違った生き方をするということでもあります。パウロはテサロニケの人たちが罪から離れて、神の喜ばれる、正しく真実で、愛にあふれた歩みをするようにと求めています。
この章の後半では、パウロは、イエスの再臨について書きます。それは主イエスの再臨前に信仰を持って死んだ人たちはどうなるのかということが疑問として出されていたからでしょう。パウロは再臨の前にこの地上の生涯を終えていた人も、生きてその日を迎える者たちも共に、主のもとに引き上げられると語ります。そして私たちはいつまでも主と共にいるのです。