パウロは律法主義的な生き方をする人たちを「あの犬ども」「悪い働き手たち」「形だけ割礼を受けた者」「肉を頼みとしようと思う人」と呼びます。主イエスと出会う前はパウロもそのような生き方をしていました。そして自分の熱心さ、真面目さ、経歴など、りとするものがたくさんありました。パウロがイエスさまと出会って、信仰を与えられてから、パウロは約束されていたすべてを失いました。しかし、パウロはそれを何とも思っていません。「主イエス・キリストを知るあまりのすばらしさ」のゆえに、今まで大事だと思っていたものが全部くずのようにしか思えなくなってしまったのです。
律法主義的な生き方をしている人たちを憎んでいるのではありません。パウロはそのような人たちのために涙を流しながら祈っています。パウロはすべての人にキリストの十字架を信じ、天に国籍を持って生きることを願っているのです。