フィリピ1章

私が切に願い、望んでいるのは、どんなことがあっても恥じることなく、これまでのように今も堂々と語って、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。(20~21)

 フィリピはマケドニア地方の町でした。パウロはその二回目の伝道旅行の時に、フィリピで福音を語り、そこに主の群ができました。このフィリピの教会は、パウロのアカイア(ギリシア)伝道の際に、パウロの働きを経済的にも支えました。フィリピ教会はパウロと親しい関係にあり、またパウロに喜びを与えた教会の一つでもありました。
 パウロはこの手紙の中で、自分が囚われの身になっていることでフィリピの人たちが決して落ち込んだり、暗くなったりしないようにと願っています。確かに捕らわれているということは苦しみでもあります。しかし、同時に、パウロはこの逆境と思える状況が、福音の前進につながったと語ります。パウロにとっては、福音が伝えられ、キリストがあがめられるならそれでよかったのです。彼は自分が助かることを願っているのではありません。要は自分の身によってキリストがあがめられ、人々が主イエスを信じるようになること、それだけだったのです。