イスラエル人たちは自分たちは主によって選ばれた民であり、そのしるしとして割礼を受けており、また律法に従って生きていると考えていました。ですから当然のように異邦人は神の祝福の外に置かれていると思っていたのです。しかし、主は異邦人のためにも救いの道を用意してくださっていました。それはキリストの十字架によってもたらされた秘儀であり、どんな国の人であっても、律法の行いによってではなく、神の真実への信仰により、恵みによって救われるというすばらしい福音でした。そして、パウロはこの福音の使者として働いていたのです。
異邦人もユダヤ人も神の愛の中に置かれている・・・その愛がどんなに大きなものであるかを知ってほしいとパウロは祈っています。そして私たちを愛してくださっている主はその大きな力をもって、私たちを救い、救われた私たちを支え、また導いてくださいます。その力は、私たちの願いや考えをはるかに越えたものなのです。