神は時が満ちた時、約束された通りに、御子イエスを律法の下に生まれた者として遣わしてくださいました。律法の下に縛られていた私たちをあがない出して、子としての身分を授けるためでした。私たちは律法の下に縛られて奴隷として生きるのではありません。私たちは神に「アッバ(お父ちゃん)」と呼びかけて生きる者、神の祝福をいただく相続人とされたのです。
ガラテヤの人たちは神さまに出会う前は様々な偶像の神々に仕えていました。しかし、そんな彼らのところにパウロが主イエスの福音を携えて行った時、パウロは肉体的な弱さを抱えていましたけれど、ガラテヤの人たちはパウロを神の天使のように受け入れ、パウロのためなら自分たちの目をえぐり出して与えようとさえしたのです。そんな彼らが再び律法のくびきの下に生きようとするのを知って、パウロは途方に暮れています。そしてパウロは、キリストが彼らのうちに形作られることを願い祈るのです。