パウロは旧約聖書の背景を全く持っていない異邦人たちにも福音を伝えていました。これらの人々はイスラエル人たちのように割礼を受けたり、律法の細かい規定を守ることはしていませんでした。彼らはキリストの真実により、そのお方に対する信仰によって救われたのです。
ところがユダヤ主義的な考えた方を持つ人たちは、異邦人クリスチャンにも割礼を受けさせるべきだと主張し、割礼を受けていない人とは一緒に食事をすべきではないと考えました。そして、そういった考えた方がいろいろな人たちにも影響を与えていました。
パウロは私たちが義とされるのは律法の行いによるのではなく、キリストの真実によるのだと断言します。律法によって義とされる人はひとりもいません。私たちはキリストと共に十字架につけられて律法に対して死んだのです。ですから律法に縛られて生きるのではありません。キリストが私のうちに生きていてくださるという恵みの世界に入れられているのです。