コリント2 11章

誰かが弱っているのに、私も弱らずにいられるでしょうか。誰かがつまずいているのに、私が心を痛めずにいられるでしょうか。(29)

 パウロがコリントで福音を伝えていた時、パウロはコリントの人たちにつまづきを与えないように最新の注意をしていました。たとえば、コリントの町の人たちに経済的な負担をかけないように、しばらくは仕事をしていましたし、その後宣教に専念するようになったのはマケドニア地方の教会からの献金が届いたからでした。偽教師、偽使徒たちに足をすくわれないようにということもあったのでしょう。彼らは自分たちを教師・使徒とし、またキリストのしもべと自称して、自分たちがどんなに励んでいるかを自慢しました。
 パウロは自分を誇る気持ちはありませんが、そのような偽教師たちを黙らせるために、自分がどのように苦難の中を通り、誠実に主に仕え、またコリントの人たちに仕えて来たかを語ります。パウロはコリントの人たちのために心を痛め、弱るようにして人々に仕えてきたのです。