パウロはコリント教会の人たちにも異邦人教会の中で計画されているこの援助献金に加わってほしいと願っています。それは単に形として加わっているということではなく、感謝と愛のしるしとして自発的にささげられるべきものでした。
献金は強制ではありません。それは自ら感謝と喜びをもってささげるものであり、いやいやながら、強いられてするものではありません。
それと同時に、神は喜んで与える人を愛してくださいます。お金は主が私たちに託しておられるものです。ですから何でもかんでもささげればよいということではありません。それを用いて私たちは日々の生活をします。そして、献金を通して、私たちは自分たちが神によって支えられ生かされている者であることを感謝し、この神がすべての必要をご存じで私たちを経済的にも、喜びにも、良い業にも満たして下さる方であることを知っているのです。