かつてイスラエルの民は、モーセの時代に石に書かれた律法に従って生きることを求められていました。しかし、その文字に書かれた律法は私たちの罪をさらに示すものとなりました。そして書かれた律法が提示されたことによって、罪はその本性をさらに明白に表していきました。神の御旨が示されると、そこで罪はかえってその示された御旨に背く生き方をさせたからです。
しかし、神は私たちを、信じる者に恵みとして与えられる救いという新しい契約の中に入れ、私たちをその新しい契約に仕える者としてくださいました。この新しい契約と共に働く霊の働きは私たちを断罪し、滅びに追いやるのではなく、私たちを生かすのです。
モーセが律法の下で、主に仕えたとき、モーセの顔は光りました。しかし、私たちが新しい契約に仕え、主の栄光を見つつ歩んで行く時に、私たちは栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていきます。そしてそれは私たちの努力や修練によってではなく、主の霊の働きによってなされるのです。