コリント1 13章

私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には、顔と顔とを合わせて見ることになります。私は、今は一部分しか知りませんが、その時には、私が神にはっきり知られているように、はっきり知ることになります。(12)

 愛の章と呼ばれるとても有名な聖書の箇所です。いろいろな賜物があって、どれも主が与えてくださるすばらしいものです。しかし、どんな優れた賜物にもまさって、愛はいつまでも残る、すばらしいものです。また、他のどんな賜物を持っていたとしても、愛に欠けていたら、何の意味もなくなってしまいます。そして、愛は単に誰かが好きで・・・というようなものではなく、とても豊かなものなのです。
 私たちは、その愛をイエスさまのうちに見出します。イエスさまはその命をかけて私たちを愛し、今も愛し続けていてくださいます。私たちはイエスさまのこともよく分かっていません。イエスさまがすばらしいお方であることは分かっているのですが、私たちが知り、理解しているイエスさまは、イエスさまのほんの一部にしか過ぎません。しかし、やがて私たちが主の前に立つ時が来ます。その時には、私たちは自分たちが知られているように、イエスさまを知るようになるのです。