コリント1 12章

働きにはいろいろありますが、すべての人の中に働いてすべてをなさるのは同じ神です。一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。(6~7)

 コリント教会にあったもう一つの混乱は霊の賜物に関することでした。コリント教会の人たちは、自分に与えられた霊の賜物を誇り、賜物に優劣をつけて、分裂をもたらしていました。
 教会に招かれ、イエスを主と告白する人たちは皆、何らかの霊の賜物を与えられています。そもそも、「イエスは主」と告白すること自体、御霊の働きなしに起こらないことなのです。
 ただ同時に、霊の賜物のあらわれとしてはいろいろなかたちがありました。そしてそれらの霊の賜物には基本、人と比べて優劣がつけられるというものではありません。大切なことはすべての賜物が皆、同じ一つの霊から来ているということであり、いらないものなど一つもないということです。すべての賜物は主に与えられたものであり、私たちは皆、同じキリストにつなげられているのです。