かつてイスラエルの民はエジプトで奴隷であったところから救い出され、主の聖なる民とされました。しかしイスラエルのj民は、偶像礼拝や淫らな行いにふけり、不平を言って、主を試みました。確かに彼らは様々な困難や試練を経験しました。しかし、彼らは自分たちを支えてくださる真実なお方に信頼すべきだったのです。主は私たちのために試練に耐える力、逃れる道をも備えていてくださるからです。
私たちは自由にされました。私たちにはすべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありませんし、またすべてのことが人を造り上げるわけでもありません。パウロは何をするにも神の栄光のためにしていましたし、またその自分の行動が人々の救いにつながるかということが彼の行動の基準になっていました。私たちは人の賞賛を得たいと思っているのではありません。自分の生き方が神と人をお喜ばせすることにつながっているかということに関心を向けて歩みたいと思います。。