パウロは、コリント教会に起こっている分派の問題について、とても心を痛めています。パウロは、「私はパウロに付く」という人たちに感謝し、そういった人たちを賞賛し、アポロやケファに付くと言っている人たちに反感を抱いているということではありません。ただ、パウロは最初に彼らに伝えた福音の恵みから離れないでいてほしいと願っているのです。あれかこれかではありません。多くのよい教えや訓練の中で、彼らは多くのことを学んでいたでしょう。パウロも自分が多くの働き人たちと共に働く者であり、自分に与えられた賜物と使命があることを理解しています。しかし、同時に、コリントの人たちが彼の伝えた福音から離れてしまうことを心配しています。
本当はすぐにでもパウロ自身が行って、彼らを教えたいと思ったことでしょう。しかし、ここで彼はテモテを遣わす決断をします。テモテの中には、信仰者としてのパウロの生き方が映っていたからです。