ローマ14章

生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。(8)

 パウロはこの章で「信仰の弱い人を受け入れなさい」と語ります。この背後にあるのは当時の異教社会において市場で売られていた肉はすべて、一旦異教の神殿にささげられたものだったという事情があります。パウロは偶像に献げられた肉を食べるのに躊躇を覚え、良心を痛める人のことを「信仰の弱い人」と呼んだのです。逆に、パウロもそうでしたが、もともと偶像の神は神でも何でもないのだから、そこにささげたかどうかは全く問題ではないと抵抗なく肉を食べることができる人もいました。
 パウロは信仰の弱い人はもっと信仰が強くなるように努力しなければならないという議論をしているのではありません。裁き合ったり、軽んじたりするのではなく、受け入れ合うということです。自分の主張を通すために人をつぶすようなことあってはなりません。私たちは、皆、主のものですし、生きるにしても死ぬにしても主のために・・・とパウロは言うのです。