ローマ7章

自分が望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。(20)

 律法は神が私たちに願っておられる生き方、神の御旨を示しています。ユダヤ人たちは自分たちが律法を与えられているということを誇っていました。しかし、どれだけ律法を与えられ、律法を知っていても、それに生きなかったら何にもなりません。そして私たちはその罪の性質のゆえに、神の御旨を示されると、あえてそうではない道を進んでしまう・・・それが罪の恐ろしさでもあります。
 パウロは自分の望む善は行わず、悪を行っているという中で、自分のうちに住み着いている「罪」の問題を取り上げます。それは何をしたという意味での具体的な罪ではなく、意志をもって私たちのうちに働く罪です。パウロはこれを「肉」とか「古い人」というようにも言います。律法を知り尽くし、律法に生きようと努力していたパウロだからこそ出てくる言葉でもあったでしょう。しかし、主はその私たちの根源的な罪に対しても救いと解決を与えてくださったのです。