パウロはこの福音を罪について語るところから始めます。一章の後半から語られているのは、異邦人の罪ということでした。主はそのような中で、人々が悔い改めることを願っておられます。それは決して人ごとではありません。人を責め、断罪して、自分は悔い改めることをしないとしたら、それは悲しいことです。
ユダヤ人たちは自分たちは神から選ばれ、このすばらしい律法を与えられている・・・と自慢していました。けれどもパウロはいくら律法が与えられていても、表面的ではなく、真実にそれに生きなければ何にもならないとユダヤ人たちにも突きつけます。
異邦人の罪についてパウロが語った時、ユダヤ人たちはうなづきながら聞いたことでしょう。しかし、パウロはユダヤ人もまた神の前に罪人であることを指摘します。すべての人が神の前に悔い改めを求められているのです。