ピラトは傷だらけの主イエスに茨の冠をかぶらせ、紫の衣を着せ、人々の前に引き出します。主イエスに妬みを抱く人々も、そのようなイエスの姿を見たら満足するだろうという思いもあったでしょう。この時にピラトがユダヤ人たちに語った「見よ、この人だ」という言葉は図らずも、私たちに救いをもたらす受難のメシアを指し示す言葉にもなっています。
ヨハネが書き記した十字架上の主イエスの三つの言葉は他の福音書にはないものです。主イエスは十字架の苦しみの中で母マリアをご自分の愛する弟子(ヨハネ)に託し、深い肉体と魂の渇きを告白し、その十字架の上で、私たちの贖いのためになされるべきすべてのことを成し遂げてくださったのです。そしてこの主イエスの御業のゆえに、すでに私たちの救いのために必要なことはすべて終わっており、私たちがそれに何かを加える必要はありません。私たちは主が用意してくださった御業をただ信仰をもって受け取らせていただけばよいのです。