イエスさまのところには、それまで宗教家たちには近づいて来なかった徴税人や罪人たちが集まって来ました。イエスさまはそういった人たちを受け入れ一緒に食事をすることもなさいました。ファリサイ派の人たちや律法学者たちはそんなイエスさまにつまずきます。彼らは決して罪人たちとは食事をしませんでした。自分も汚れてしまうと考えたからです。
しかし、主イエスは、罪人たちが悔い改めて神様のところに帰ってくるときに、神さまがどんなに喜んでくださるかを三つのたとえを用いてお話になりました。百匹の羊の話、十枚の銀貨の話、放蕩息子の話です。共通しているのは失くしたものがあったけれども、見つかって、それを取り戻した人が大喜びするということです。見つけた人たちは自分で喜んでいるだけでは足りなくて、みんなにそのことを知らせて一緒に喜んでもらいます。それはまさに、罪人を取り戻した神の喜びの姿でもあったのです。