八章は種まきのたとえで始まります。命の言葉がまかれ、それが善い心で受け止められると、豊かに実を結ぶようになります。御言葉を聞いて受け止め、行うということは、主イエスの霊的な家族のしるしでもありました。御言葉の力がどんなに大きなものであるかは、ガリラヤ湖の嵐を静められる主の力の中に、ゲラサ人の地に住んでいた悪霊に支配されていた男の救いの出来事の中に、長血の女の癒やしの奇跡の中に、またヤイロの娘の癒やしの奇跡の中に鮮やかに表されています。
ヤイロは会堂長であり、地元でも尊敬されていた人物だったことでしょう。しかし、彼の十二歳になるひとり娘が病気で死にそうになっていたのです。彼はイエスさまの前にひれ伏し。必死で助けを求めます。しかし、イエスさまが彼の家に向かっておられる時に、その娘が亡くなったという知らせが届いたのでした。しかし、主イエスはヤイロに「恐れることはない。ただ信じなさい」とおっしゃました。恐れに囲まれていた彼は御言葉に支えられて家に入ります。そして主は確かに彼女に命を与えてくださったのでした。