主イエスが世に自分をあらわすようになる前に洗礼者ヨハネが世に現れます。そして、自分が生まれる前から語られ、その七百年前に預言者イザヤによって預言されていたように、救い主の誕生を予告し、救い主を向かえる準備をするようにと求めたのでした。洗礼者ヨハネが救い主を迎える準備として人々に求めたのは悔い改めでした。悔い改めとは、単に自分の過ちを認めて懺悔するということではありません。これは過去の罪を認めるだけではなく、向きを変えることであり、そこから新しい歩みを始めることでもあります。「悔い改めにふさわしい実を結べ」と洗礼者ヨハネが言ったのは、まさにこのことです。
やがて、主イエスの公の生涯の初めに、主イエス自身も洗礼者ヨハネからバプテスマを受けます。主イエスは悔い改めることは何もない、罪のない、義なるお方です。その意味でヨハネからバプテスマを受ける必要はなかったはずです。しかし、ここで主イエスはまさに罪人と同じ立場に立ってくださったのです。