天の国は、これだけ自分はしっかりがんばったから、当然受けることができるはずだと、まるで自分の功績に対す報酬のように考えているとしたら大きな間違いです。本来、受けることができない者が、憐れみによっていただくことができるものなのです。
ゼベダイの子ら、ヨハネとヤコブの母は、主イエスのところに来て、天の国で自分の息子たちがナンバー2、ナンバー3になれるようにと求めました。当然、自分の息子たちはその権利があると考えての発言でしょう。あとで、他の弟子たちが腹を立てているところから、他の弟子たちも皆、そのように考えていたのだと思います。
しかし、天の国は、神の憐れみによって入れていただくところですし、もし憐れみによって生かされているということを知っていたら、当然、誰よりも僕としての生き方に徹することができるはずです。それが主イエスの弟子としての道でもあったのです。