小さい者、つまずきやすい者、迷っている人、罪を犯しているきょうだい・・・ある意味、とても大きな問題や課題を抱えている人たちですし、とても手のかかる人たちとも言えます。そしてそのような人には多くの人たちは冷たく接し、捨ててしまうのかもしれません。しかし、主イエスはそのような人にも愛を注ぎ、また近づいてくださいます。
罪を犯していても目をつぶれとか、あやふやにしろというのではありません。愛をもって、また手順を踏んで忠告すべきでしょう。間違っていることを間違っていると指摘すること実は勇気がいることです。そして、罪を犯しているきょうだいに忠告する文脈の中で、二人が心を合わせて祈ることの重要さが語られます。つまりここで言われているのは自分たちの欲望の成就を求める祈りではなく、基本的には罪を犯しているきょうだいの回復のための祈りなのです。