マタイ5章

心の貧しい人々は、幸いである
天の国はその人たちのものである。(3)

 五~七章は山の上の説教(山上の垂訓)と呼ばれる主イエスの教えです。主イエスは「律法や預言者」(旧約聖聖書のこと)を成就するために来たのだとおっしゃいました。この時代、旧約聖書の専門家を自負していたのはファリサイ派の人々や律法学者たちでした。彼らは律法を深く学び、それを厳格に守ろうとしていました。けれどもそのような中で、彼らは律法の語る精神ではなく、表面的にそれを守る、破らない、ということに必死になり、自分たちはそれなりに律法をきちんと守っていると自負し、そうでない人たちを断罪しました。しかし、イエスさまは、その律法の背後にある神の思いを受け止め、それに沿って生きようと、人々を招かれたのでした。そこで見えてくるのは、神の御心か\かけ離れた貧しい自分の姿です。しかし、主イエスは「心の貧しい人たちは幸いである」とおっしゃって、自分の破れや貧しさの中で主を求め、主にすがって生きるしかないと主を仰ぐ者の幸いを語られたのです。