主イエスの誕生物語から話は飛んで、公生涯に入ります。主イエスの公生涯の始めに、主イエスはまず洗礼者ヨハネからバプテスマをお受けになります。洗礼者ヨハネは、神が約束された救い主メシアが来られることを告げ、そのメシアをお迎えする準備の一つとして、罪の悔い改めを迫りました。ヨハネが語った悔い改めは、単に罪を認めて、その罪を白状?し、謝罪するということではありません。もちろん、それも含まれるでしょうけれど、主に向かって向きを変え、新しい生き方を始めるということを含んでいました。ですから、「悔い改めにふさわしい実を結べ」と語られたのです。
ただ、主イエスは、罪のないお方です。その意味では、洗礼者ヨハネから悔い改めのバプテスマを受ける必要はなかったはずです。まさにここで、主イエスは、罪人のひとりと同じところに立ってくださったのです。
天から声がしました。父なる神が、主イエスに呼びかけられたのです。「これは私の愛する子、私の心に適う者」。この呼びかけが主イエスの生涯を支えたのです。