マラキ3章

しかし、わが名を畏れるあなたがたには義の太陽が昇る。その翼には癒やしがある。あなたがたは牛舎の子牛のように躍り出て跳ね回る。(20)

 まさに旧約聖書の結論は、私たちには救い主が必要だということであり、神が私たちのためにその救い主を送ってくださるということでした。罪の結果、国を失い、捕囚となった民がもう一度帰ってきて再スタートしてもやはり主の御前に誠実に生きることができない。人間の真面目さでは人は救われないし、何度やり直しても、人間の覚悟や努力では主の御心の中を生きることはできなのです。
 そんな私たちのために、主は救い主を送ろうとしておられました。そしてその先駆けとして使者を送り、エリヤを送ると約束されました。裁きの日が近づいています。しかし、同時に、その日は、主に信頼して生きる者にとっては義の太陽である主が自分たちを照らしてくださる日であり、癒しと喜びの日です。
 主の約束をもって旧約聖書は閉じられます。そしてマラキから四百年後、本当に旧約聖書が約束していた救い主が来てくださったのです。