マラキ1章

私はあなたがたを愛してきた――主は言われる。しかし、あなたがたは言う。「どのように愛してくださったのか」と。エサウはヤコブの兄ではなかったか――主の仰せ。しかし、私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。(2~3)

 いよいよ旧約聖書最後の書になります。捕囚から帰還した民は神殿を再建し、また長く崩れたままだったエルサレムの城壁を築き直しました。そして、学者エズラなどの指導の下、主に従い、御言葉を守って生きることを教えられました。
 このマラキ書は、その後の時代、紀元前四百年頃に活躍した預言者マラキの言葉です。マラキの時代、宗教は形骸化し、主を礼拝しながらも、人々の心は主から離れてしまっていました。神に確かにささげものはしていましたが、いらないもの、高価でないものをあえて選んで、主のもとに持ってきていました。本来、ささげものはノルマではなく、自分の神への感謝として、心からささげるものです。ある意味、彼らのささげものは彼らの姿勢をよくあらわしていました。イスラエルの民は、主が「あなたがたを愛してきた」とおっしゃっても「どのように」とうそぶきました。自分たちを愛し、選んでくださった主を思うことがなかったのです。