エルサレムは主がその名を置かれた都でした。そして、捕囚からの帰還によって、人々はその都に帰ってきました。しかし、その都には様々な偶像がありました。エルサレムが陥落する前にもイスラエルの国内にいろいろな偶像があったことが分かっています。また、捕囚の時代にその地に移り住んだ人たちの影響もあったでしょうし、中にはバビロンから偶像を持ち帰った人もいたかもしれません。しかし、神でないものを神とするということは罪の本質でもあります。また本来、主の言葉を語り、人々を正しく導くべき預言者たちの中にも、かえって民を惑わすような人たちがいたようです。
しかし、主は「その日」という日を定めて、イスラエルの王の家系であるダビデ家もエルサレムの住民も清めると約束されます。
主は罪と汚れを清める泉を開いてくださいます。ため池の水は汚れたり、腐ったりします。またイスラエルでは川は乾季になると枯れてしまったりしました。しかし、泉はいつもこんこんと清い水が湧き上がるのです。