ヨシュアが宗教的な指導者として大祭司の務めを負っていたとしたら、ゼルベベルはダビデ王の血筋を引いた政治的な指導者として民の中心にいました。時が時でしたら、ゼルバベルも王として大きな力を振るうべき人物だったことでしょう。しかし、この時には帰還の民の指導的な立場にある人物だったとしても、あくまでもペルシアの支配下で制約のある自治を委ねられているに過ぎません。ゼルバベルは自分の弱さを感じ、また不安を覚えることもあったでしょう。
ゼルベベルには武力も権力もありませんでした。彼はペルシャ全体から言ったら、まさに吹けば飛んでしまうような小さく儚い存在だったかもしれません。しかし、主は「わが霊による」と宣言されました。いろいろな困難もあったでしょう。しかし、どんな大きな山も、ゼルバベルの前では平地になります。主はゼルバベルを遣わし、その託された神殿再建の工事も全うさせようとしておられたのです。